幸せとは何を指すのでしょう。
人から与えられるもの。
それとも自分でつくるもの。
あるいは生まれ持っているものなのでしょうか。
私たちの幸せの定義は、その時代、個人によって変化するものです。
たとえば、個人においても、10代と50代で思う幸せの定義は変化しているはずです。
また、日常生活は見えない部分も含めて、一人の力だけで生きて行くことは困難です。
どの時代に生きようとも、また自身の年齢に関わらず、幸せのプロセスは
たった一人では成し遂げられません。
ゆえに、人に不快感を与えることなく、同じ空間に過ごす人同士が相手のこころを察し、
慎みの気持ちを育みながら過ごすことによって、
自ずと幸せな空間をつくることができるのです。
そして、自分を磨くことで、相手のこころに幸せを届け、
最終的には己の幸福に繋がることを忘れてはならないと思うのです。
なぜお辞儀をするのか。
なぜ箸遣いは正しいほうが好ましいのか。
なぜ訪問のさいにおみやげを持参するのか。
すべての行動やふるまいの根底には相手を大切に思う「こころ」があり、
そのこころは「かたち」すなわち作法によって表現されます。
全ての作法(かたち)には、理由が存在いたします。
こころとかたち、このふたつがあってこそ「礼法」は成り立つのです。
礼法とは決して一辺倒なものではなく、時・場所・状況に応じた自然なふるまいが重んじられます。
国際社会での活躍が叫ばれる今こそ、日本人が本来持っているはずの相手を大切に思う
礼しいこころを取り戻し、美しいかたちを通じて人間関係を深めるこころがけを
育むべきではないでしょうか。
禮(礼)を学ぶ方々が、温かな和のもとでお互いに幸せをこころで感じ取ることができる、
そのようなお仲間を作っていただくことも私の切なる願いです。
一人でも多くの方に、古来より受け継いでまいりました小笠原流礼法の
「こころ」と「かたち」をお伝えしてまいりたく、このホームページがその一端となりましたら幸甚に存じます。
先代宗家 小笠原惣領家第三十二世 小笠原忠統の実姉(村雲御所瑞龍寺十二世門跡 小笠原日英尼公)の真孫にあたる。
聖心女子学院において初等科より高等科まで学ぶ。
聖心女子専門学校卒業後、英国留学。
平成六年 小笠原流礼法副宗家に就任。
平成八年 小笠原流礼法宗家に就任。
現在、聖徳大学・聖徳大学短期大学部客員教授。
先代小笠原忠統の遺志を継いで初の女性宗家に就任して以来、当流に伝わる古文書を中心とした教えに基づき、直門をはじめとする多くの門弟や教育現場において指導にあたっています。
そのひとつとして、小笠原氏発祥の地である山梨県南アルプス市(旧小笠原村)においても定期的に礼法講座を受け持つなど、小笠原氏ゆかりの地の方々ともご縁を深めています。
現在の社会において失われかけている「相手を大切に思うこころ」を取り戻すべく、「時代によりかたちは変わっていくものだか、その根底にある相手を思うこころはいつの時代も同じである」という先代の教えを守り、伝統ある礼法を現代に活かしながら、学校・各種団体・企業等における講演活動、執筆活動など、様々な分野に活動の場を広げています。
また留学経験も活かして、海外における日本の伝統文化の普及にも努めています。
村雲御所瑞龍寺門跡十二世。小笠原長幹五女。女子学習院卒業。
先代宗家小笠原忠統の姉、現宗家小笠原敬承斎の祖母。
日蓮宗唯一の門跡寺院で滋賀県近江八幡市にある、村雲御所瑞龍寺門跡を継承し、伊勢湾台風などで荒廃の進んだ瑞龍寺に入山以来、再興につとめ復興する。瑞龍寺には多くの人々が法話を求めて訪れ、各地での出講や法話にも精力的に取り組む。
1988年没。