母のお辞儀

向田邦子さんの「お辞儀」というタイトルのエッセイがあるのですが、その中で、次の文章がこころに深く残っています。

親のお辞儀を見るのは複雑なものである。
面映ゆいというか、当惑するというか、おかしく、かなしく、そして少しばかり腹立たしい。
自分が育て上げたものに頭を下げるということは、つまり人が老いるということは避けがたいことだと判っていても、子供としてはなんとも切ないものがあるのだ。

親になってみると、こどもへの無償の愛がわかるからこそ、自身の親を大切にしなければとこころではわかっていても、それこそ面映ゆくて素直に表現できないことがあります。

先日、私は仕事の打ち合わせがあり、出先から母と別々の場所に移動するときのことです。
「駅まで距離があるから気をつけてね」と手を振りながら軽くお辞儀をして、私を見送ってくれました。
そのとき、ふと、このお辞儀のエッセイが頭に浮かんだのです。10.7

幼い頃から親友のように仲良くしている母ですが、4日のブログにも記した長幼の序を大切にし、親を敬う気持ちを忘れずに過ごしてまいりたいと思います。

 

 

富気長和

漆器や陶器のお椀に富貴長命という四字が書かれていることがあります。
あるいは、中国の古銭でこの四字をご覧になったことがある、という方もいらっしゃるでしょう。
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富貴長命とは、裕福で身分が高く長生きという意味です。
富貴長生も同じような意味で用いられます。
富貴長春というと、長春はバラ、富貴は牡丹を指し、バラに牡丹を配した図を表すこともあります。

過日訪れたお店で、「富来長命」が書かれたお椀で、美味しいしんじょうのお料理をいただくことがありました。
「貴」は身分が高いことを表すため、「来」を用いるほうが馴染みやすいかもしれません。

さて、この四字から派生して次のことを考えてみました。
「気」が豊かであるということで「富気」としてはいかがでしょう。
そうなると「長命」ではなく、互いのこころの働きが豊かで長きに渡って和を大切にする、という意味を込めて「富気長和」もよいかもしれません。
ちなみに、長和は1012年から1017年までの日本の元号にありますが、その出典は、礼記の「君臣正、父子親、長幼和而后礼義立」といわれています。
長幼和せば而して礼儀立つ。
年齢や立場ではなく、互いの思いやりから和が生まれることを改めて感じる機会に感謝いたします。

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井戸

友人から自宅の井戸について話を伺う機会がありました。
一年前のブログで湧水について記しましたが、本日は井戸について触れてみたいと思います。

地下水を得るために掘られた穴を井戸といい、昔は地中に湧き出る泉を井と表現しました。
残念ながら、私は井戸のある環境で生活をしたことがありませんが、かつて井戸は生活になくてはならない水を得るための貴重な存在でした。
また井戸を清潔に保って維持しながら守っていくことは、日本人にとって欠かせなかったのです。
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なぜなら井戸は井戸神という神様がいらっしゃる大切な場所で、水の量や色の変化を確認し、時にはその変化が天災の前兆であると恐れることもありました。
今でも、お正月に井戸に飾りをし、井戸神をまつることがあります。

原始的な井戸は泉を改修したり,窪地や崖下を掘ったものが多く,ひしゃくや手桶で水を汲んだようです。
現在は蛇口をひねると簡単に水が出てきますが、水の尊さや感謝を忘れずに過ごしてまいりましょう。

 

筆を動かした瞬間に

長きに渡り、お世話になっている書道の先生は母と同世代でいらっしゃいます。一時体調を崩されたこともあって、しばらくお会いすることを控えていたのですが、先日久しぶりにオフィスにてご指導いただきました。

玄関のドアを開けた瞬間、先生の温かな笑顔に触れてこころが和みました。
それだけではありません。
先生は少しおみ足が不自由でいらっしゃるのにもかかわらず、大きな箱を「たくさんの実がなりますように、という思いからぶどうをお持ちしました。なんだか大げさな箱に入れられてしまって仰々しくてごめんなさい」とおっしゃって、渡してくださいました。
新型コロナウィルスの影響を心配くださるゆえ、励ましの贈答品だったのです。IMG_4942

ご指導いただきたい文字をあらかじめお伝えしていたのですが、その文字をしばらく書いていると、「上手に文字を書こうとする思いにとらわれている」ということにふと気づきました。
そこで「一人でも多くの方が幸せに過ごすことができますようにとこころを込めて書く」と気持ちを新たに、筆を動かした瞬間、向かいに座っていらっしゃる先生は「できたかもね」とおっしゃったのです。
「実は…」とこころの変化を先生にお伝えすると、「なぜかそう思えたの。不思議ですね」と微笑んでいらっしゃいました。

このような、こころの機微をすぐに感じ取ってくださる先生にご指導いただける幸せに感謝するばかりです。
書としては師資相承の域ではありませんが、少しでも先生のおこころを受け継ぎながら成長できるように努めてまいりたいと思います。

 

 

 

 

 

 

餞別

昔は旅に出る人の馬の鼻を目的の方向へ向けて見送る習慣を「はなむけ」といいました。
ここから、旅立ちや門出を祝うために差し上げる金品、詩歌、ことばなどをはなむけと呼ぶようになったのです。
はなむけは餞と書き、餞別(せんべつ)と同じ漢字です。
餞は、ささやかな祝宴という意味。
もう一つ、贐という字も、はなむけと読みます。
こちらはお金を表す「貝」と「尽」の旧字から漢字ができていることより、盛大に祝うという意味が含まれます。

さて、小笠原流には餞別の包みという折形があり、過日の直門のお稽古でご指導いたしました。
一つの熨斗は旅立ちを祝して、もう一つの熨斗は無事にお帰りになったときを想定して付けられています。

6.16写真このように、一枚の紙を、こころを込めて折りを重ねながら気持ちを表すことができるところが折形の魅力であり、これからも様々な折形をお伝えしてまいりたいと思います。

今週は月・木曜日ともに祝日のため、本日ブログを更新いたします。

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