万年筆の文字から

門下の方々からの手紙と指導に関する報告書を、同日に拝見することがありました。
いずれも万年筆で記されています。20190926 ブログ写真

手紙は白で罫線のない便箋に、丁寧に書かれていました。
すべての行の文字はまっすぐで、かすれた部分は一箇所もなく、必要なところには余白を空ける心得もあり、どれほどの時間をかけて手紙を仕上げたのかという書き手の「こころ」を、便箋を開いた瞬間に感じ取ることができました。

報告書は規定の書式があるのですが、こちらも罫線がないので、かなり気を配らないと目立つことがあります。
しかしながら、ぎっしりと記された文字は、まるで罫線があるかのように曲がることなく、だからといって事務的な印象を与えるどころか、むしろ温かささえ受け取ることのできるものでした。

現代において、一般的に筆は親しまれていない傾向にあると思いますが、万年筆であればどなたでも気軽に手に取ることができるのではないかと思います。
万年筆で記された文字の魅力は、何といってもインクの濃淡やペン先に入れる力の強弱や傾け方などによって、文字の濃さ、太さに変化が生まれて立体的になることです。
ただし、日頃の装いと同様に、文字の美しさも見た目のみからで決まるのではありません。
自分を全面に出すことを慎みながら、積極的にこころを動かして文字をしたためることが大切なのです。

おふたりともお仕事を持っていらっしゃるので、自由な時間にはかぎりがあると拝察いたしますが、そのなかで感謝の念を忘れずに文字を記すこころのゆとりが何よりも嬉しく素敵に感じました。
これから知人に御礼の手紙を書きますが、丁寧にこころを込めて感謝の念を伝えたいと思います。

鶴と亀

9月15日は敬老の日。
ある和菓子店で鶴と亀の生菓子が販売されており、幸運なことに最後の一つであった鶴と亀のお菓子を購入することができ、自宅でゆっくりとお茶を入れて母と美味しくいただきました。
その翌日、偶然にも「鶴と亀のお菓子、どちらを右に置くのかしら」という質問を友人から受けたのですが、皆様はどのようにお考えになりますか。20190919 ブログ写真

鶴亀は長寿の象徴です。
不老不死の理想郷といわれる蓬莱山の飾りにも、鶴と亀が用いられます。
また、このふたつは陰陽の観点から見ることができます。
鶴は天、亀は地。
すなわち鶴は陽、亀は陰。
そのように考えると鶴は向かって右、亀は左となるわけです。

一方、鶴は千年、亀は万年ということから、より長寿である亀を上位である向かって右に置くということも、決して間違いであるとはいえません。
また、一般的に生菓子をお出しする場合、お皿に置くのは一つが基本ですので、このような配置を考える機会は少ないかと思います。

どのような思いでお菓子を準備し、どのように相手に召し上がっていただくかを考えることはもてなす側の楽しみでもあります。
その気持ちこそが大切で素敵なことです。
これからの時期、皆様も和菓子で秋の季節感を楽しんでみてはいかがでしょうか。

菊慈童のお人形

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以前のブログでもご紹介いたしましたように、3年前に嵐山の法輪寺にて茱萸袋(しゅゆぶくろ)をいただきましたが、今年も久しぶりに法輪寺に伺う機会を頂戴いたしました。

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関東は台風の影響がかなりありましたが、京都は朝から晴天で、美しい山々を眺めながら嵐山へ向かいました。

念願の茱萸袋を拝受するだけでも光栄なのですが、久しぶりに菊慈童のお人形のお顔を拝見することも叶いました。
このお人形は、有職御人形司 伊東久重氏作のもので、凛々しさと優しい眼差しを感じる表情が素敵です。
目を合わせるほどにこころが浄化される気持ちがいたしました。
また、外の舞台からは渡月橋、嵯峨野などが一望でき、仁和寺の五重塔もはっきりと見えました。

今年最後の節供、このように有意義なひとときを過ごせましたことに深く感謝いたします。
来年も菊慈童のお顔を拝見できますように。
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一番とは思わないことの大切さ

台風の影響がかなり広がっています。
被害に遭われた方々におかれましては、こころよりお悔やみ申しあげますとともに、一日も早い復旧をお祈りいたします。
また影響のある地域にお住いの方々、くれぐれも気をつけてお出かけください。

一中節は三味線音楽の一つで、語りの一中節浄瑠璃と楽器演奏の一中節三味線で構成されます。20190909ブログ写真2
元禄の頃に初代、都太夫一中により始まり、一時は途絶えますが、江戸中期から末期には江戸で流行しました。
一中節は三味線音楽の中でも特に精緻で優雅な音楽といわれています。

一中節12世宗家の都一中氏は古くからのお知り合いで、3年前の小笠原流礼法宗家本部新春交賀会にゲストとしてお招きし、典雅な演奏と語りを拝聴いたしました。
また過日は少人数でのお食事会にお誘いし、ご一緒いただくことがございました。

20190909ブログ写真一中氏は洋楽にも造詣が深く、お会いするたびにお話を伺っているだけでも勉強になるのですが、このたびも三味線の構造や語りの違いなど、様々なことを教えていただきました。
語りの際に母音を発音するのかどうかによって、全くといってよいほど音の響きと広がりが異なることを実際に聞かせてくださいました。
楽譜がない代わりに語りの台詞が記されたものを見ると、音がわかるということにも興味が深まりました。
何よりも感動したことは、次のお話です。

「後継者として指名されたとき、私よりも上手な人がいるのになぜ指名されたのかと先代に尋ねました。すると先代から、最も上手でないから指名した、といわれたのです」
当時、一中氏が上手でないことは考えられませんが、ご先代のおことばは実に感慨深いものがあります。
このようなことを私の分際で申すことは大変恐縮ですが、しっかりとした技術と謙虚なお人柄を兼ね備えていらっしゃる一中氏だからこそ、後継者となられたのではないかと思うばかりです。

宗家が一番でなくても周囲に優秀な人がいれば皆さんに助けてもらえばよい、とも語ってくださいました。
常に前きらめきでなく、慎みのおこころを持っていらっしゃる一中氏のおことば、何と素敵でしょう。

自分は一番の実力がある、と思ってしまった瞬間に成長する道を自らで途絶えさせてしまいます。
己に足りない部分に気づき、学ぶことへの積極性を永遠に忘れることなく過ごしてまいりたいと思います。
門下の皆様、これからもお支えいただきますよう、よろしくお願いいたします。

生徒から学んだこと

昨今、中学校や高等学校において礼法を取り入れたいというご相談やご用命を頂戴することが多くなっております。
今年も新たに礼法を授業に取り入れてくださる学校があり、中学校1年生と高等学校1年生への授業に対して、3名の師範の方々が指導にあたってくださっています。

先日、その学校の授業の中間報告を師範の方々から伺う機会がありました。IMG_6334

ある日の中学校1年生の礼法授業のさい、ひとりの生徒がテキストを忘れ、隣の席の生徒も忘れていることがわかった瞬間、前に座っている生徒が自分のテキストを2人に渡した姿がとても自然だったとのことです。

高等学校1年生の授業ではお箸遣いを指導するときに、「この授業の中でお箸遣いをしっかりと学び、実生活でも練習を重ねれば、たった1週間で正しいお箸遣いができることでしょう。それによって将来、皆様がおとなになったときに社会人として美しいふるまいをすることができ、親としてこどもに自信を持って伝えることができるのです」とお伝えしたところ、皆様が素直に授業に取り組んでくださったと伺いました。

また授業のアンケートでは、「自分のこどもっぽいところを知り、しっかりと学びたい」「襖の開け閉てを実践してみたかった」「礼法は実生活に役に立つ科目である」など、それぞれの貴重な意見を拝見することができました。
授業を通じて、音楽を学んでいる方と、数学的な思考をもっている方とでは捉え方が異なることを知り、大変勉強になったというご報告も興味深く拝聴いたしました。

生徒の皆様に対して師範の方々はご自身のこどもたちのように大切に指導してくださっている様子でした。
さらに充実した指導ができるようにと取り組んでくださっているおこころが何よりもありがたく、素敵に思いました。

われ以外みなわが師。
年齢や立場によらず、慎んだ気持ちで周囲から学ぶこころを常に持ちたいものです。

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