記憶をお返しする

私と息子、親子二代でお世話になった幼稚園が都内にあるのですが、カトリックの精神に基づいて、他人をも愛することのできるこころを養い、自立心や正しい躾を身につけさせ、明るく素直で思いやりのある園児を育てることを目的とされています。
この幼稚園で最もお世話になった先生がご帰天なさいました。

このたびの訃報をくださった方より、次のことを伺いました。
「もし私がこの世を去ったら皆に伝えて欲しい。人は目が見えず、一人では立てない状態でこの世に生まれる。それがだんだんと、目が見えるようになり、一人で立てるようになって、人を愛することもできるようになる。年を重ねると、見えていたことや元気に走り回っていたことを神様にお返しする。だから、物忘れが酷くなったらボケているといわずに、記憶を神様にお返ししたといってね」と生前おっしゃっていたそうです。
さらに、「命がなくなっても、ひとつだけ神様にお返ししないものがある。それは魂。皆を愛する魂は永遠に存在することを忘れないで」という先生のおことばを伺い、先生のおこころに触れた気持ちが深まり、涙が溢れました。

20210430若い頃にできていたことをできないと嘆くのではなく、神様にお返しするととらえる。
もの忘れがあることを卑下するのではなく、記憶をお返しすると表現する。
私はカトリック信者ではありませんが、先生のお考えに敬服するばかりです。

先生が安らかに憩われますよう心底よりお祈り申しあげます。

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