採長補短

風が強い日のことです。
あるビルの地下から地上に出ようと扉を開けようと何度も試みたのですが、風圧でまったく開かずに諦めかけていたそのとき、向こうから走ってそばまでいらした年配の男性が、「開きませんか?」と笑顔で扉を大きく開け、閉まらないようにと丁寧に押さえていてくださったのです。
私が外に出ると、男性はビル内に戻り、足早に駅の方向へと歩いていらっしゃいました。

そのすぐ後、訪問先のビルのエレベーターホールで、エレベーターの扉が開くと中に乗っていた5.6歳とお見受けする男の子が操作盤の前で「上に行きます」と元気に教えてくださいました。
それだけではありません。
私がエレベーターに乗る時、先に降りる時、どちらも操作盤の前に立って「開」のボタンを押し、「どうぞ」と可愛らしいお声とともに促してくださったのです。
横にお立ちのお母様は優しい眼差しで見守られていたことからも、男の子の言動はすべて自発的になさっていたことが窺えます。
恐らく、日頃の生活の中で他者を察するこころや思いを表現するかたちを躾けていらっしゃるこIMG_5211とと拝察いたしました。

ここのところ、素敵な行動をなさる方々を拝見する機会が多いのは、新型コロナウィルス感染拡大が少し収まってきて、人々の気持ちにゆとりが出てきたからでしょうか。
あるいは、私自身のこころに以前よりもゆとりができ、そのような方々の行動に気づくようになったのでしょうか。

いずれにせよ、採長補短と申しますように、他者の素晴らしいところを取り入れて己の足りないところを補いながら過ごしてまいりたいと思います。

あかりちゃん

1879年10月21日にトーマス・エジソンが電球を発明したことから、あかりの日とされています。神田明神

さて、あかりという響きにちなんで、今日は神田明神の御神馬・御幸号「明(あかり)ちゃん」について触れたいと思います。
神田明神大祭日5月15日に生まれ、2011年秋に御神馬として、境内正門から入って向かって右側の馬舎に迎えられ、年を重ねるごとに白毛が増えて、やがては白馬になるそうです。
馬は人を踏まないので安全、ということから神田明神では馬のお守りもあります。

神馬とは、神の乗用として,また祈願祈祷のため,神社に奉献する馬のことです。あかりちゃん
しんめ、またはじんめと読むこともあり、神駒(かみのこま)とも呼ばれます。
また絵馬は、生き馬を神に献じる風習が,馬に代えて土馬、馬形、板立馬などを納めるようになり,やがて絵の馬を奉納したことが起源といわれています。

さて、神官や巫女の方々があかりちゃんのお世話をなさっているそうです。
神田明神におまいりのさいには、あかりちゃんに会いにいらしてみてはいかがですか。

おかげさま

9月21日は、お月見をなさいましたか。
本日10月18日は十五夜に続く、十三夜です。

さて、過日のお稽古の折にお月見について触れたさいのことです。
「小さな頃、祖母と夜空を眺めるたび、お月様におかげさまといってお祈りするように、といわれました」と門下の方から「おかげさま」についてお話を伺うことがありました。
その後、小笠原流礼法を学んでいくうちに、陰陽を知り、昼は陽で夜は陰、ゆえに月に「お陰様」と手10.7月を合わせたことに通じているのかも知れないと嬉しく思った、とも語ってくださいました。

おかげさまといえば、江戸時代に数次にわたって伊勢神宮へ民衆が大勢おまいりに訪れたおかげ参りがあります。
陰(かげ)には、他の助け、庇護、恩恵という意味があり、人々は、「おかげさまで…」と、日々の感謝を祈ったのです。

いまでも、神仏に祈るとき、あるいはお世話になった方に対して、おかげさまで無事に旅先より帰宅いたしました、などとお伝えすることがあります。
目に見えないことにも感謝し、その気持ちを表すことのできる「おかげさま」を、今晩はお月様に、また日常の中でもこころを込めて用いたいと思います。

栗きんとん

お世話になっている方が「季節の味覚をお届けしたく・・・」というご書状と、栗きんとんを送ってくださいました。

栗きんとんとお聞きになると、お正月のお節料理を思い起こす方が多いかもしれません。1014
きんとんは金団とも書いて金運をもたらすという縁起ものです。
このたびの栗きんとんはお節料理の栗金団とは異なり、岐阜県東濃地方のお菓子で、栗の実に和三盆を加えて炊き、裏ごししてから茶巾しぼりのかたちで整えた銘菓です。
漢字では栗金飩などとも記されます。

栗といえば、栗の実を干して臼で軽く搗き、殻と渋皮とを取り去った実だけのものをかちぐり(勝栗・搗栗)というのですが、「かち」とは「搗く」の古語で、搗(かち)は勝と音が通ずるので、武士は出陣、勝利の祝い、正月の祝儀などに用いました。

栗は疲労回復効果があるそうなのですが、大好物の栗きんとんを大切に味わいながら頂戴したいと思います。

同日に

いくつかの大学が近くにあるカフェでコーヒーを飲んでいたときのことです。
隣には、何冊かの本を開いて勉強している医大生が2人座っていました。
耳をそばだてて無理に話を聞くつもりはなかったのですが、2人の心地よい会話が聞こえてきました。

「本当に良い医者って、どんな医者だと思う?」
「勉強ができるだけではダメだと思う。僕の場合、親が医者。だから医者にならなくてはならない、っていう考えもよくないよね」
「やっぱり患者さんの話を聞くことができるってことかな?」
「そうだね。大事だよね」
と話すと、お二人とも自然に会話をやめて勉強を再開していらっしゃいました。

その後、打ち合わせに行くために地下鉄に乗って移動したのですが、車内でこころ温まる高校生の行動を拝見いたしました。
70代くらいとお見受けする身だしなみを美しく整えていらっしゃる女性が乗っていらした瞬間に、その学生の方は荷物を持ってサッと立ち、軽く右手で促すように席をお譲りになったのです。

同日に2回も素敵な会話や光景に触れたおかげで、穏やかな気持ちで一日を過ごすことができました。
彼らがこの先も他者への思いやりを育み続けられるような社会を私たち大人が作っていかなくては、と心底から思う機会でもありました。10.11

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