一枚の写真から

会食の席で、こころばかりの感謝の品を持参することがあります。
食事会が終了してすぐにお礼のメッセージをSNSで届けてくださる方、翌日電話やメールをくださる方、お手紙やおはがきを送ってくださる方がいらっしゃいますが、いずれの場合も皆様のおこころを届けていただくことは光栄なかぎりです。

re先日、友人たちとのランチの食事会の席において、最近気に入っている洋菓子店で購入したジャムを差しあげました。
お会いした当日もお礼のメッセージをいただいたのですが、さらに翌日、「いただいたジャムで至福の時間を」というメッセージとともにこちらの写真が送られてまいりました。

実際に差しあげた品を素晴らしいテーブルセッティングとともに写真に収めてくださったのです。
そのお気持ちが嬉しくて、何度も写真を見返してしまいました。

相手にこころを届けることがどれほど素敵なことか、実際のかたちを通して教えてくださった友人に感謝するばかりです。

ガレも愛したー清朝皇帝のガラス

久しぶりにサントリー美術館へ伺い、清王朝時代のガラスを拝見いたしました。

春秋時代末期から戦国時代の間に中国のガラスが誕生したといわれています。
1696年第4康煕帝が皇帝のためのガラスづくりにとガラス工房を紫禁城内に設置したことがきっかけとなり、発展したそうです。

数々のガラスを拝見したなかで最も美しく思ったものは黄色山水人物文壺、深く重みのある黄色に魅了されました。
IMG_2939清朝で黄色は皇帝や皇后の専用の色。
北京の故宮博物院の瓦にも黄色が用いられていることからも、黄色は高貴な人のみが用いる色であったことが推察できます。
中国において、黄色があたえる印象は現代とは異なるようですが、もとは大地の色、根幹や中核を表す貴い色として扱われていました。
小笠原流の伝書には、黄色は土用の重要な色として記されています。

また、この清朝のガラスはエミール・ガレにも影響を与え、彼の作品に取り込まれていきました。
ガレの作品と清朝時代のガラスが比較して展示されていることも大変興味深く拝見いたしました。

わずかな時間でしたが、静けさが漂う空間で優美なガラスを拝見しながら豊かなときを過ごすことができました。

国際交流に関するパネルディスカッション

一昨日、国際交流に関するパネルディスカッションを拝聴いたしました。

IMG_2820昨今、留学を希望する日本人の学生が減少するなか、1週間でもよいから夏休みや冬休みなどを利用して海外へ行くことが大切ではないか。

なぜなら、インターネット社会である現代において、世界中の風景、芸術などあらゆることを見たり、聞いたりして知識を増やすことはできるが、それらは当然のことながら実体験ではない。

国際交流において、実体験していないことを頭のなかでカタカナとして備えるのではなく、実体験に基づいてアルファベットで考えることが大切。これからの日本は、リスクをとろうとする人を評価する社会をつくることが必要でなないだろうか。

こうした様々なパネリストの方々からのご意見のなかで、特に「海外生活によってアイデンティティーがなくなってしまうのではないか、と心配すること自体が問題である」というご意見も印象的でした。
どこで暮らしても、日本人が日本人であることを無くしてしまうはずはない。
海外生活を通して、日本人であることを再認識することもあるでしょう。
ただし、日本人が本来持っているはずのこころとは何か、そのこころをどのようにして相手に伝えるのかという、それぞれの根本について知る機会がなければ、その人自身に備わるこことは難しいのではないかと思います。

海外で暮らす日本人、日本で暮らす外国人、いずれの方々に対しても、小笠原流礼法のこころとかたちをお伝えしてまいりたいと改めて感じました。
その後の懇親会では、初対面の方々とお目にかかり、素敵な時間を過ごせましたことに感謝いたします。

こちらから優しく接する

あるお店で友人とランチをしたときのことです。
席へ案内してくださった店員の方には、ほとんど笑顔がありませんでした。

席へ着いた後、お水が運ばれたとき、お料理を注文するとき、友人は常に笑顔でそのお店の方に「ありがとう」と声をかけながら接していました。

するとお食事が終わる頃には変化が起きました。
その方が「デザートはいかがなさいますか」と優しい声と表情でメニューを持参し、注文を聞いてくださったのです。

IMG_2850「こちらから優しく接することで先程のように表情が変わってくれると嬉しい」
お店を出てしばらくしてからそう語る友人のこころの持ち方がとても素敵に思いました。

無愛想、冷たいなどと相手を否定するのは容易なこと。

しかし、初対面の人、身近な人、どなたに対しても、まずはこちらから暖かいこころで接する気持ちをなくさないように努めたいものです。

コンソメスープ

古くからあるお店で、久しぶりにコンソメスープをいただきました。
見た目は決して派手ではないですが、一口飲むごとに美味しさが口中に広がりました。
コンソメスープに限りませんが、派手さはなくても、準備に惜しみなく時間とこころがかけられたものから、人は幸せを感じ取ることができます。

私たちの生活は西洋化され、もので溢れていますが、昔の日本人の生活は和室に掛け軸とせいぜい花が飾られる程度の質素なものでした。
何もかも目に見えることで表現されないからこそ生まれる、無限の美しさや深さが存在します。

コンソメスープさて、コンソメスープにまつわる思い出があります。
弟が小学生の頃、生命に関わるほどの大怪我をして入院したときのことです。
弟の意識が戻ってからすぐ、日頃は台所に立たない父が何時間もかけてコンソメスープをつくって病院へ持参しました。
弟がスープを一口飲んだ瞬間、父と母が嬉しそうな表情をしたことを鮮明に記憶しています。

労を惜しまず、こころを込めることによって、素敵なものや空間が生まれることを礼法を通じて次世代へと伝えていきたいと思います。

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