ごみが落ちていたら

本日、北海道の胆振地方中東部を震源地とした最大震度6強の地震が発生しました。
地震による被害に遭われた方々、また過日の台風による被害に遭われた方々におかれましては、こころよりお見舞い申しあげます。

師範の方々とのお稽古中に、与えられた指示に対しては比較的、忠実に行動することができても、どうしたら相手や周囲の人と楽しく過ごすことができるかという発想に至らない、あるいは感謝の気持ちを表現しないこどもや若い世代の方々が増えている、という話題について考えることがありました。

様々な事柄に関して、こどもが考える前に親が答えを出してしまいがちなこと。
飽食の時代で苦労がないこと。
自分を大切にする、あるいは自分の時間を大切にしたいと思う親が増え、こどもにこころを傾ける時間が減ったこと。

積極的にこころを動かすこどもが減っていることに関して、あらゆる意見が出ました。
食べることすら困難だった時代のほうが、独り占めしないでまわりに分け与えるこころのゆとりがあったのです。
昔は、独り占めすることは恥ずかしいと捉えられていたのです。
恥ずかしさとは反対側にある、日本人が大切にしていたはずの潔さ。
たとえ貧しい暮らしであっても、昔は人々のこころの中に他者から後ろ指を指されるようなことはしない覚悟がありました。

gomiある師範から伺ったのですが、知人の小学生のお子さんが歩いている途中、何か小さなものを拾う姿を目になさったので、しばらくそのお子さんの様子をご覧になっていたそうです。
拾い物、実は誰かが捨てた小さな紙くず。
お子さんは、その紙くずを入り口手前に置かれたごみ箱に捨ててから、教会の中へ入っていったとのことでした。

なんと素敵な行動でしょう。
おとなでも、落ちているごみを拾わない方が増えているのではないかと思いますが、それこそ恥ずかしいことです。
こどもへの深い愛情があったうえのことですが、こどもが大切だからこそ、おとなは、ときにこどもに苦労をさせる潔さを持ち、本来日本人が持っているはずの周囲への優しいこころ遣いを社会全体に取り戻したいものです。

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