臨書と伝書

書道の師と、久しぶりに様々なお話をする機会がありました。
王義之(中国東晋の政治家・書家)の楽毅論(三国時代魏の夏侯玄が戦国時代の将軍楽毅についてその王道にのっとった戦いぶりを説いた文章に)は、楷書体の完成された用筆の妙味があるといわれています。

その文字を眺めながら師はおっしゃいました。
「縦せんと欲せば横せんよ。横せんと欲せば縦せんよ。中国の書論にあることばですが、縦画はまず横にいれる。横画はまず縦にいれる。まさにこの書は起筆(書き始め)の用筆(筆づかい)に、この教えを忠実に行っている書です。この書を臨書(手本を見ながら字を書く)することには、深い意味があります。臨書をする前に、字の書き方の基本を身につける必要はあるけれど、臨書は単に字を学ぶだけでなく、その時代の背景やそこに生きた人々の思いを知ることができるのです。」

IMG_3523小笠原流礼法においても、伝書を学ぶ意義と同様のことです。
万葉仮名で記された伝書、現代語に記されたものを読めばよいのではないか、という考えもありますが、それではその時代に生きた人の思いを受け止めることに限りがあるのです。
臨書を通じて、書いた人がどのようなことばを用い、それをどのような書で表現したのか、ということを肌で感じることによって、見ているだけではわからない味わいをも楽しむことができる。
伝書も万葉仮名のままで読めば読むほど、新たな気づきや楽しみがあります。

古いものの魅力を失うことなく、先人の教えを現代に活かす大切さを改めて教えていただいた貴重な機会に感謝いたします。

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