だるま最中

過日、友人の笹谷伊織の女将でいらっしゃる田丸みゆきさんのご講話を東京で拝聴いたしました。
和菓子や京都に関することを大変興味深く話してくださり、是非、このブログ内でも教えていただいたことをご紹介したいのですが、今回は最もこころ打たれた、だるま最中のお話について。

第二次世界大戦前にまでお話は遡ります。
当時、小学生だったある男の子は、笹谷伊織さんの本店前を通り過ぎるたび、店内のだるま最中を見ては「お腹にいっぱい餡子が詰まっている最中、おいしそうだな。食べてみたいな」と思っていたそうです。
monakaしかし、当時はお砂糖を用いたお菓子は貴重で、お母様に無理をいってはいけないと我慢しながら日々、お店の前を通っていたある日のこと。
だるま最中が男の子に話しかけてきたというのです。
「食べられるものなら私を食べてみろ」と。
そのときから男の子は「いつの日か、お腹いっぱいにだるま最中を食べる」とこころに決めました。

しばらくすると第二次世界大戦となり、笹谷伊織さんは7年間、お店を閉めることになりました。
それから約60年という年月が過ぎ、男の子は71歳に。
その男性は長い間、京都の地を離れていたため、京都駅から当時の記憶をたどりながら、とうとう笹谷伊織さんの本店へ。

「だるま最中、まだありますか?」と、男性は店舗内に立つ田丸さんに尋ねられました。
「はい、ございます」と答えられると、「まず一つ、今すぐにいただきたいのですが」という男性からの依頼。
そこで男性と一緒に来店された奥様を店内のテーブル席へとご案内し、お茶と最中を出されました。
「やはりだるま最中は美味しい!」と男性は奥様と半分ずつ最中を召し上がり、小学校時代のお話を田丸さんにお伝えになったそうです。
(伺ったお話にできる限り添うように努めましたが、内容に誤りがございますさいには何卒ご容赦ください)

なんと素敵なお話でしょう。
田丸さんによると、だるま最中の人気がなくなり、一時はこの商品を存続するかどうか悩まれたこともあったそうですが、この日以来、だるま最中を作り続ける決心をなさったとのこと。
老舗は変わらずに続けることの大切さを学ばれたともおっしゃっていました。

小笠原流礼法も、いつの時代においても本質を変えることなく伝え続けていきたい。
そのように強く思うと同時に多くのことを学ばせていただいた機会に感謝いたします。

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