小笠原忠真 その2

前回に続き、今回も小笠原忠真についてご紹介いたします。

江戸幕府三代将軍家光は「豊前国は九州の要の国なので右近(忠真)に任せる。何かあればすぐに知らせるように」と申し渡されました。
「御当家正伝記」には「右近様は九州御目付と何も思召すなり」と記されています。
忠真による次の和歌も展示されていました。

兜皆人を捨ぬ誓いの渡し舟乗しらぬ身もとまるへきかな

皆人は小倉藩の家臣・領民、渡し舟は忠真のことで、自身が進むべきか止まるべきかの心境を詠んだものと思われます。

忠真は晩年、黄檗宗に帰依し、中国から渡来した僧、即非如一禅師を開山として現在の小倉北区にある広寿山福聚寺を創建しました。
忠真の法名は「福聚寺殿」です。

門司港また井原西鶴や岡西惟中なども門弟である俳人・連歌師の西山宗因は忠真の古稀に「小倉千句」を読んで祝いました。
その一部も見ることができ、感慨無量でした。

博物館見学後は初めて訪れる門司港で美しい景色を眺めることができ、美味しいお料理も頂戴し、様々な思いを胸に帰路につきました。
お世話になった皆様にこころから感謝申しあげます。

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