小笠原忠真 その1

昨日10月18日は小笠原家の先祖である小笠原忠真が亡くなって350年。
北九州市立いのちのたび博物館では10月7日から12月3日までの間、小笠原忠真展が行われており、九州出張の折に伺ってまいりました。
そこで今回と次回は、忠真についてお伝えしたいと思います。

小笠原 忠真江戸幕府2代将軍徳川秀忠から元服の際に偏諱を授かり忠政と名乗り、その後は忠真に変わったのですが、大阪夏の陣において父の秀政、兄の忠脩が戦死したため、家督を継ぐこととなりました。
忠真も重傷を負ったものの奮戦し、家康からは「わが鬼孫なり」と称賛され、血痕と見られる跡の残る甲冑も展示されていて、見応えがありました。
徳川家康の命により、忠脩の死後、兄の正室であった亀姫(円照院・本田忠政の娘で家康の養女)を正室として迎えます。

IMG_1132信濃国松本8万石、播磨国明石10万石に移封されましたが、1632年には三代将軍徳川家光より豊前国小倉15万石への国替を命じられ、1634年8月4日に京都二条城にて家光から与えられた宛行状が展示されていました。

また展示品のなかで深く印象に残ったのは、忠真の父、秀政が大阪夏の陣で身につけていたといわれる菅原道真公像です。
高さ約4.5センチの像と厨子は一体で、この厨子を所持していたと思われます。
秀政は文にも優れ、学問の神様を深く信仰していたようです。

次回も忠真についてご紹介いたします。

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