コンソメスープ

古くからあるお店で、久しぶりにコンソメスープをいただきました。
見た目は決して派手ではないですが、一口飲むごとに美味しさが口中に広がりました。
コンソメスープに限りませんが、派手さはなくても、準備に惜しみなく時間とこころがかけられたものから、人は幸せを感じ取ることができます。

私たちの生活は西洋化され、もので溢れていますが、昔の日本人の生活は和室に掛け軸とせいぜい花が飾られる程度の質素なものでした。
何もかも目に見えることで表現されないからこそ生まれる、無限の美しさや深さが存在します。

コンソメスープさて、コンソメスープにまつわる思い出があります。
弟が小学生の頃、生命に関わるほどの大怪我をして入院したときのことです。
弟の意識が戻ってからすぐ、日頃は台所に立たない父が何時間もかけてコンソメスープをつくって病院へ持参しました。
弟がスープを一口飲んだ瞬間、父と母が嬉しそうな表情をしたことを鮮明に記憶しています。

労を惜しまず、こころを込めることによって、素敵なものや空間が生まれることを礼法を通じて次世代へと伝えていきたいと思います。

素直が成長の土台となる

先週末、約1年ぶりにある研修施設にて講演を行いました。

空が澄んでいたら富士山の美しい景色を眺められるのですが、残念ながら朝から雲がかっていました。
IMG_2842しかし、気分は晴れやか。
なぜなら、ずっと楽しみにしていた講演だからです。

また都内から2時間ほど要すると思っていたところを早めに到着したのですが、師範の講師の方々は私よりもさらに早くに会場入りし、温かい笑顔で迎えてくださいました。
過去のブログにも師範の姿の美しさについて記していますが、このたびも出迎えの姿が素晴らしく、豊かな気持ちになりました。

受講者の皆様にはあるテーマに沿ってお話いたしましたが、各自が必死にメモをとられている光景は嬉しくもあり、微笑ましくも感じました。
その素直なおこころがけは、今後、皆様が成長なさる土台となることでしょう。

講演は毎回、新たな発見ができ、自己を振り返り、学ぶ場でもあります。
緑豊かな素敵な環境において講演の機会をいただきましたこと、またお世話になった方々に感謝いたします。
講師の皆様、長時間に渡るご指導をありがとう存じます。

同級生たちへの尊敬と誇りの念

出張の折、学生時代の同級生たちと地方にて集まることができました。
付属校、同じカトリック系の学校から進学して同級生となった私たちですが、集合場所から目的地まで歩いている途中、ある教会に引き寄せられるようにして中に入り、静かにことばを交わすことなく椅子に座りました。
たった5分程度ではありましたが、学校の聖堂で礼拝していた頃が大変懐かしく、穏やかな気持ちで胸が溢れました。

IMG_2758 (002)事前に経路を調べて行き先まで誘導してくれる人、話題を提供してくれる人、細やかな配慮をしてくれる人など、実にお互いの距離感やバランスがよいのです。
思い出や近況報告と話は尽きることなく、来年の旅行計画も提案されました。

それぞれが帰路に就いた頃、SNSを通じて
「学校を卒業して何十年も経過してからこのように集まることができるのはきっと幸せなことと思いました」
「明日からまた頑張れそうです」
「本当に楽しかったです」
などと次々に嬉しいメッセージを交わしました。
恵まれた環境で過ごすことのできた学生時代に感謝し、たとえ悩みがあるとしても、今にも感謝しながら日々を幸せに過ごそうとこころがけること、さらには親を大切に思う気持ちを皆で共有できることに尊敬と誇りの念を抱きました。

素敵な同級生たちと、末永く旧交を温めることができますように。

能とビジネス

久しぶりにある会に出席し、皆様のご意見を拝聴する貴重な機会をいただきました。
この会については以前にも触れていますが、ディナーをご一緒するだけでなく、主催者の方からお題を頂戴して同じテーブルの方々と話し合います。

先日のお題は、伝統芸能、特に能とビジネスについて。
今までに、風姿花伝などから世阿弥の残した教えを現代のビジネスに活かしていらっしゃるというお声を何人もの経営者の方々から伺ったことがあります。

花「秘する花を知ること。秘すれば花なり 秘せずば花なるべからず となり」

これは風姿花伝の一節です。
すべてをあからさまにしては、人の感動を得ることはできません。
予期させない部分があるからこそ、相手のこころを動かすことができるのです。
意図的に自分をつくることはいかがなものかと思いますが、相手の意外な一面が見えることで、親近感や好感を覚えることがあります。
仕事、プライベート、どちらもなれ合いにならず、目に立たない努力によって、人間関係にも好ましい作用が生まれることがあるのではないでしょうか。

「似せんと思ふ心なし」

この世阿弥のことばは、小笠原流礼法を学ぶさいにも共通します。
かたち、すなわち作法を身につけるときに、最初は見よう見まねで様々な動作を練習します。
それがある時点から、真似ではなくて意識しなくても自然に行えるようになるのです。

世阿弥は、父である観阿弥から聞いたことばを見事にまとめ、今でもたくさんの感動を私たちに与えてくれます。
名プロデューサーともいわれる世阿弥ですが、自身を磨き、相手や時代が求めることを察し、工夫して表現し続ける重要性を改めて考えるひとときでした。
皆様の素敵なご意見を伺うことができ、深く感謝いたします。

天使の分け前

ある海外の宝飾ブランド店にて、「愛」をテーマに能とバイオリンの素晴らしい共演を拝見いたしました。

店舗内は限られた空間にもかかわらず、響き渡る艶やかで美しいバイオリンの音色にのせて、振り上げられる装束の袖や能面の奥からは情熱までも感じられる幽玄な世界。
特に日頃、能は舞台の下から拝見いたしますが、このたびは目の前で舞を拝見し、その迫力に圧倒されました。

興奮冷めやらぬうちに、何人かの方とレストランへと移動してお食事をしたのですが、その席で初めて知ることばの表現に出会うことができました。
そのお店に飾られていた年代物のウィスキーのボトルは、ご一緒だった方のものだったのですが、その方から
「30年前にすでに50年もののウィスキーだから、今は年期が入ってかなりお酒が蒸発してしまっている」というご説明がありました。
すると同席されていた外国人の方が、
「Angel’s share!」
と和やかにおっしゃったのです。
Angel`s share樽は呼吸するともいわれますが、蒸留酒は仕込んでいる間に空気などを取り込みながら放出するために、仕込んだときよりも量が減ります。
これをAngel’s share、すなわち天使の分け前と呼ぶそうです。
何と素敵な表現でしょう。
このお話から場の雰囲気が明るくなり、皆様とのご縁にも感謝する素晴らしい時間を過ごすことができました。

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