皐月と誕生石

今日から5月。
五月はサツキと呼びます。
皐月とも書きますが、もとは早苗月とされていたのが略されたともいわれています。
皐は水面の白く輝く沢や沼を意味します。

ところで、五月の誕生石といえば翡翠とエメラルド。
翡翠は玉とも呼ばれ、国石でもありますが、日本においては縄文時代から加工が始まったといわれます。
翡翠と聞くと古代装身具の一種である勾玉(まがたま)を思い出すという方もいらっしゃるかと思いますが、厄を祓うものとして身につけられていました。

エメラルドエメラルドの和名は翠玉、緑玉。
クレオパトラはエメラルドの虜になったといわれていますが、ただ装飾品として集められただけでなく、癒しや想像力を増す効果があるとも考えられていたようです。

このように、世界中で石には不思議な力があり、信仰や儀式と結びついて権力を表すものとしても活用されてきました。
単に身につけるだけでなく、内面の輝きを増す努力も怠らないようにこころがけたいものです。

春宵一刻値千金

お酒先日、友人5名で食事をしたさいのこと。
このメンバーでの食事会は久しぶりだったので楽しみにしていました。

一人の方が
「春の夕暮れに、皆さんとこのような楽しい時間を過ごすと思い出す詩がある」
とおっしゃいました。
「どのような詩ですか」
と尋ねると
「春宵一刻値千金」
と教えてくださいました。

春の宵は情緒があってそのひとときは千金にも値する、という意味。
中国の詩人、蘇軾(そしょく)の七言絶句「春夜」の一句です。
これに続く句を含めて、日本では春の宵の素晴らしさをあらわしているといわれますが、中国では男女の恋情を表現しているといわれることが多いようです。

この詩を教えていただいたことで、それぞれが異なる職業を持ちながら、同じ空間で過ごすことのできるひとときを大切に思うばかりでした。

日中は初夏の陽気の日もありますが、夕方になるとまだ肌寒く感じることも多い時期、春の宵を楽しまれてみてはいかがでしょう。

ドアの向こうに感じた光

本部教室 お稽古定期的に直営教室に伺うことにしていますが、先週末は師範のクラスにお邪魔しました。

教室のドアを開けた瞬間、光を感じたのです。それは照明や太陽の光ではなく、人から発せられ、こころに飛び込んでくる光。
なぜ、こんなにも暖かくて勢いのある光を感じたのか、その理由はすぐに理解できました。

私を迎えるにあたって、皆様が決めたテーマは端午の節供だったのですが、迎える役、香を焚く役、司会進行役、端午の節供を説明する役、床飾りをする役と、それぞれに役割分担がされていました。
およそ20分の滞在でしたが、凝縮した時間に込められた、もてなすことへのこころ遣い。
控えめさを兼ね備えたもてなしには人を感動させる勢いがあることを、身をもって皆様から教えていただきました。

翌朝はある企業様からのご依頼により、部下を持つ立場の方々へ向けての講演のため、横浜へまいりました。
上司としての心得には、慎みと察するこころが欠かせないことを伝書の教えをもとにお伝えいたしました。
講演後は久しぶりに会場近くの山下公園の景色を見ながら、講演中にもご紹介した

分際にしたがい徳を諸人にほどこすべし

という伝書の一説を思い出しながら東京へ向かいました。
お世話になった皆様、ありがとう存じます。

初めての礼法授業

礼法授業聖徳大学附属女子中学校・高等学校の新入生へ向けて、礼法の特別授業として講義をいたしました。
学校へは毎年、この時期に伺っているのですが、特に今年は生徒の皆さんから様々な意見や感想を伺うことができました。

たとえば、礼法の授業で学びたいと思うことについて、中学1年生からは「入学前の説明会では、礼法の授業で作法の理由を教えていただけると聞いたので楽しみにしています」という意見。
聖徳大学附属女子中学から進学した高校1年生からは「友人と接するときに礼法を学んだことが役立ちました」という感想を伺い、大変嬉しく思いました。

中学1年生に「お箸の持ち方ですが、2本あるうち、上のお箸はペンの持ち方と同じです」と説明していると、それぞれの生徒が自分のペンケースからペンを2本取り出してお箸の持ち方の実技が始まり、高校1年生は写真のように実演を交えながら物の取り回しと受け取り方についての指導などを行いました。

中学1年生は積極的に意見が飛び交い、高校1年生は恥ずかしそうにしながらも笑顔で自分の考えをしっかりと語ってくれたました。
新入生のかわいらしく素直な表情に出会えたことに感謝する時間でした。

今後、授業を重ね、礼法を身につけられた姿を拝見できることを楽しみにしています。

明日ありと思うこころの徒桜

宗家を継いで間もなく、東北地方でお教室を始めたいと思っていたときのこと。
残念なことに2009年末に閉館されたのですが、仙台駅前にあった仙台ホテルの方々のご協力によって、願いは叶い、教室を開く運びとなったのです。
それがひとつのきっかけとなって、徐々に東北の門弟の方が増えました。

仕事や家庭の事情などによって東京でのお稽古に参加できない方がいらっしゃるのならば私が地方へ出向けばよいというごく単純なことを行動に移そう、という思いに突然駆られ、昨日は久しぶりに仙台において門弟の方々へのお稽古をいたしました。
親鸞の残した
「明日ありと思うこころの徒桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」
ではありませんが、するべきことは必ずできるときに行い、先延ばしにしてはならないという気持ちが高まったのかもしれません。

仙台駅で新幹線から在来線に乗り換えて会場に移動すると、すでに皆様が昼食の準備を整えて出迎えてくださいました。
「サンドイッチをいただきながら雑談をした後にお稽古をいたしましょうか」とお伝えしていたのですが、事前に盛岡の門弟の方が仙台にあるいくつかのホテルへ行ってサンドイッチの味や切り方などを吟味したうえで用意をしてくださったと伺い、今まで味わったことのない美味しいサンドイッチを頂戴することができました。
東北門下の方々お稽古の時間は瞬く間に過ぎ、仙台は今が桜の見頃と伺っていたのですが、夜は東京で予定があったためにお花見はできないまま新幹線に飛び乗りました。
桜よりも皆様とのひとときこそ、大切な春の思い出です。
次回のお稽古は夏。
皆様との再会をこころ待ちにしています。

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