1本の榊

神棚に供える榊は、毎月1日と15日の月に2回、新しいものに変えることが習わしです。
我が家でも、短い場合には1週間ほどしかもたない榊もあり、2週間を待たずして変えることも過去にはありました。

IMG_3500 (002)ところが、ある日を境にして変化が起きました。
2016年4月のブログに榊のことを記しているのですが、同年1月から我が家の神棚に供えている榊は今年の初め頃まで、枯れることがなかったのです。
毎日、お水を替えるたびに「ありがとうございます」とこころを込めて、一本一本の根元を洗っていましたが、今年の猛暑に榊も耐えられなかったでしょう。
2年8ヶ月が経過し、とうとう1本だけが残り、その他の榊は今月1日から供えているものです。

榊は、「木」と「神」からなる国字。
榊はツバキ科の常緑樹で、神様がいらっしゃる聖域と人間のいる場所の堺を示す木ということから「堺木」「境木」。
あるいは常に葉が栄えている木ということから「栄木」「繁木」、から転じて「榊」になったともいわれています。
いずれにしても榊は古くから依り代(神様が依りつくもの)として神事に用いられてきました。

生物に永遠の命がないことはわかっていますが、できるかぎりこの1本の榊の葉が枯れないことを願いつつ、新しい榊も大切に供えたいてまいりたいと思います。

故郷

この時期の出張中には、
「小笠原さんの故郷は?東京のご出身ですか?」
と尋ねられることがよくあります。
曽祖父母の代から東京に住んでいるため、小学生の頃はお盆期間中にテレビのニュースで帰省ラッシュ風景を見てはどこか羨ましく思ったものです。

0813先週、お仕事の関係で東京にお住いの方が
「あと少しでお盆休み。故郷に帰ることが何よりの休息。楽しみで仕方ありません」
と本当に嬉しそうに話していらっしゃいました。
また別の知人が久しぶりに帰省されてご友人と再会なさっている光景を拝見したのですが、その方の表情もこころからの笑顔でお幸せそうでした。

前述の通り、私には帰省先はないのですが、以前のブログにも記しましたように小笠原家発祥の地である南アルプス市は故郷のように思っています。
また先日の出張先で尋ねたある地では、先祖の繋がりがもたらしたご縁で、新しい方々との和が広がる機会をいただきました。
またこころの故郷がひとつ増えたように思っています。
もしかしたら、生まれ育ったところが東京であるがゆえに、地方に行くたびに人の優しさや純粋さに感銘を受け、安らぎを感じるのかもしれません。
一方、一週間ほどの出張でも、ふとした瞬間に出張先で東京を思い出すことがあります。

頭を挙げて山月を望み 頭を低れて故郷を思ふ

と李白の「静夜思」にあるように、故郷を離れて暮らしてみるからこそ望郷の念に駆られ、故郷の良さを知るきっかけにもなるのでしょう。

お盆期間後のお稽古では、門下の皆様の素敵な故郷のお話を伺えることを楽しみにしています。

60回目の夏を祝う会

IMG_3442数え年で61歳に行うお祝いといえば還暦。
本卦還りともいいます。
また「華」は六つの十と一つの一に分けられ、十干の最初は「甲」であるため、華甲とも呼ばれます。
十干と十二支を組み合わせると60年で一巡して生まれた干支に戻ることから、第二の人生が始まるおめでたい年ともされてきました。

還暦の祝いといえば、赤いちゃんちゃんこを思い浮かべる方が多いと思いますが、赤は厄を祓うとされ、また干支が生まれ年に還ることからも、ますます赤いちゃんちゃんこが定着したとされています。
地域によっては、喜寿や米寿で赤いちゃんちゃんこを贈ることもあるそうです。

昔は61歳で隠居としましたが、現代の61歳はまだ十分に仕事もできる年齢です。
ご友人やお知り合いの方のなかには、隠居とはほど遠い印象の方が還暦を迎えられた、ということが増えているのではないでしょうか。

まさにその印象を代表する知人、辰巳琢郎さんが60回目の夏を迎えられるということと、ご著書の出版記念を兼ねたパーティーが都内で開かれ、お招きにあずかりました。
パーティーのタイトルはご自身のイニシャルと年齢をあわせて「TT60」!
辰巳さんは共通の友人知人が多く、様々な場でご一緒する機会があり、お世話になっていますが、いつお目にかかっても聡明で生き生きとされています。
0807当日はウェルカムドリンクから赤のお酒。
会場内の照明、卓上のお花、ナプキンとどれを見ても赤。
これだけ赤が用いられているのにもかかわらず品格を損なうことなく、素敵な会場の雰囲気が作り出されていることに感動いたしました。
また辰巳さんご自身も赤と黒のお召し物で登場なさり、さらに会場が華やぎ、素晴らしいひとときを過ごすことができました。

辰巳さんのますますのご活躍とご健勝をこころよりお祈りいたします。

30年ぶりの帯広

先週、講演のご依頼を頂戴し、約30年ぶりに帯広へまいりました。
なぜ30年前に一度、帯広に行ったことがあるのかというと、姉妹校から同じ学校に進学をし、今でも仲の良い友人の実家へ遊びに伺ったからです。

IMG_3422朝からの講演に向けて前泊をしましたが、目覚めてからすぐにカーテンを開けると北海道とは思えないほど、かなり強い日差し!
前日は34度にまで気温が上昇したそうです。

講演では皆様の表情が柔らかく、大変話しやすい雰囲気で意欲的に参加くださったので、予定以上に話を深めてお伝えすることができました。
小学校の先生をなさっている方からも、こどもたちに向けてどのように礼法の大切さを伝えたらよいかという質問を頂戴し、私にとって大変充実した時間でした。

また前泊したおかげで久しぶりに友人と友人のご両親にお会いすることも叶いました。
友人の実家はお祖父様の頃からお庭と造園業を営まれていますが、約24,000坪の広大なお庭にある木々や花々をお父様自らが説明してくださいました。
以前伺ったときと比べて、葉や花のかたち、色の濃淡などに感激し、風が吹くたびこころの安らぎと心身が浄化されるように感じたのは年齢を重ねたせいでしょうか。

IMG_3426友人は姉妹揃って朗らかで、こころが清らかで、信頼できる人柄。
その理由は、ご両親からの深い愛情と躾を受け、さらに帯広の大地によってこころが育まれたのであろうことも拝察いたしました。

羽田に向かう機内上空から見下ろすと、まるでパッチワークのように可愛らしく美しい畑の景色が広がっていました。
帯広、とても素敵なところです。
お世話になった方々、ありがとう存じます。

舞踊の技術とこころ

会食後にあるお店へと移動して席につくと、お店の方から「ご無沙汰しております。5、6年前に来てくださいましたよね」とお声をかけていただきました。
何と素晴らしい記憶力、と感動しているのも束の間、大変興味深い話題ばかりで勉強になるひとときを過ごさせていただきました。

無題ひとしお身にしみたのは、歴代の日本舞踊家の方々に関して話が及んだときです。
そのお店の方は日本舞踊を嗜まれているのですが、次のようなことをおっしゃいました。
日本舞踊そのものの技術はもちろん大切。
その前提に、その人が内面に秘めているこころから醸し出される魅力が欠かせず、それこそが観客の胸に訴えかけるものとなり、感動を与えられるのだと。

何度も記していますが、こころが重要であることは小笠原流礼法も同じです。
煌びやかな装いで出かけたとしても、周囲を察する「こころ」がなければ、豪華なドレスや宝石は単なる「もの」でしかありません。
練習を重ねて教えられた通りの所作ができたとしても、こころが伴っていなければ、周囲の人から見てどこかに不自然さを感じさせてしまうのではないでしょうか。

暑さが厳しいとうっかり他者への配慮を忘れて自己中心になりやすいですが、そのようなときにこそ「かたち」だけが一人歩きしないように、「こころ」を伴わせて行動することを忘れずに過ごしてまいりたいと思います。

このページの先頭へ